2010-11-12 第176回国会 衆議院 国土交通委員会 第5号
そして、現時点で、聴取をされる保安官、その者が帰航し、洋上から戻り、聴取の態勢がとられた。これがまさに捜査の段階として一つの次のステップに上がったということで、報告に上がってきたと思っております。 また、これももう御承知だと思いますが、予算委員会の中で私ども時間を拘束される中で、十時から予算委員会の第一委員室におりました。
そして、現時点で、聴取をされる保安官、その者が帰航し、洋上から戻り、聴取の態勢がとられた。これがまさに捜査の段階として一つの次のステップに上がったということで、報告に上がってきたと思っております。 また、これももう御承知だと思いますが、予算委員会の中で私ども時間を拘束される中で、十時から予算委員会の第一委員室におりました。
そこで、今回の話の関連で一つ二つ事例を申し上げると、例えば平成十四年、鳥取県の漁船が境港に帰航中、竹島周辺で韓国警備艇に衝突され、警備艇から五人が乗り込んできて、竹島の十二海里以内に入らないように強要されるという事件があったということがあるんですね。これは、国内法、国際法で言うとどういう事例になるんですか。
しかし、結果においては、シンガポールで待機をし、そしてその後はまた外務省の方から撤退の要請があって帰航したわけであります。 結果においてこの巡視船が活動しなかったというのはよかったなと思っておりますが、今回のこうした状況等が今後ないことを念じておりますけれども、いずれにいたしましてもさまざまな観点から海上保安庁、運輸省といたしましてもいろんな教訓を得たことも事実でございます。
○日吉政府委員 当日は、委員御案内のように、大島沖におきまして展示訓練という訓練を艦艇十隻ばかりが参加いたしまして行ったわけでございますが、その帰航時にこの不幸な事故が発生したわけでございます。
経過につきましては、すでに御承知のとおり、十日未明、奄美諸島における訓練を終えて佐世保向け帰航中の護衛艦が、ゴムボートで避難中の船員の方が打ち上げました信号弾を発見して、それから救助活動に当たったという事実どおりでございまして、事前に米潜水艦の行動なんかについて、自衛隊が何らかの連絡を受けるとかいうことは全くなかったということを申し上げるわけでございます。
○久世説明員 八月三十一日に、巡視船が竹島の調査を終わりまして、一応同局付近から帰航中に、大体竹島から約八・五海里離れました海上におきまして、韓国の軍用機二機、これは乗組員の話によりますと、多分ファントム戦闘機であろうという推定でございますけれども、巡視船の上空に飛来したという事実はございます。
一部の船は内地への帰航すら困難だという情勢にありますので、急遽六千五百キロリットルの油を積み込みまして、十二月二十日に出航するということであります。これは、油は、私どもの今後使う油の一部と、それから、ロンドン・シェルの特別の配慮によりまして、シンガポールから一部積み合わせまして現地に持っていくということでございます。したがって、油と船、全部手続は完了いたしております。
事件の概要につきましては、私どものほうでは、帰ってまいりました小林広身と千葉正雄の供述によってつかんでおるわけでありますが、その供述によりますと、五月八日六時三十分ごろ、国後島中ノ沢沖漁場にこの船は到着いたしまして、距岸三・二ないし三・七海里において操業の上、九時ごろ帰航の途についたのでありますが、間もなくソ連監視船が接近してまいりましたので、全速で逃げました。
そこから帰航中に拿捕された、済州島の南の李ラインの付近で拿捕された、こういうふうに承知いたしております。なおこちらから厳重抗議いたしまして無害通行権というようなことを主張して抗議いたしました結果釈放された、こういうふうに承知いたしております。
これもやはり以西底びきの船でございますが、先般の住吉丸と同じようにやはり東海、黄海で底びきをやりましてその帰航中だと思われますし、そういうこともございまして、直ちに外務省を通じて抗議して釈放方を要求い たしております。
もっと具体的にいえば、日本国内から貨物を沖縄に輸送する場合、沖縄で船舶の着いた那覇港で荷揚げをするとか、帰航の場合日本内地に運搬荷を受けるためたとえば白浜港から荷物を内地に運ばんとすると、それは相ならぬということになっておるのです。かようなことですね、船舶がからで帰ってくるというようなこと、これでは船舶業者はますます赤字になってくる。民族産業の圧迫である。
全部帰航いたしました場所で船体とそれから漁獲物と乗組員、これの健康診断、これを全部いたすことに、あの後半年間はいたしてございましたので、その記録がございます。
日海丸(二五〇〇トン)はフィリッピンでラワン材を満載し日本に向け帰航の途中、昭和三十四年十一月十二日未明沖繩南方約五百キロの海上で、台風二十号に遭遇して、ついに沈没した船でありますが、乗組員は三十八名中三十五名という大部分の者が、この激浪の中でタンカー隆邦丸によって奇蹟的に救助されたのであります。
そこで宗谷はバートン・アイランド号と別れまして、ただいまケープタウンに向けて帰航の途中でございます。かような状況でございますので御報告申し上げます。
それから宗谷が現地を出発して帰航につきました以後におきましてはまだやっておりません。機を見て総会を開きまして、いろいろと検討をいたすべき事柄が多いと存じております。
これは文字になりましたものは、最近この問題が発展いたしましたときに、何日でしたか、三団体で覚書を作りまして、三項目ありますが、二項目は、一時帰国者の処遇について、これは帰国船があれば、往航帰航ともこれに無料で乗船させてもらいたいというふうに書かれております。
漁船第五大北丸は昭和三十二年一月の七日、宗谷岬の東北東百三十マイルにおいて、稚内向け帰航中流氷に接触浸水し、緊急通信を発したので、巡視船四隻が現場に向って急行するも、ついに三隻は流氷源を突破することができず、ようやく一隻が現場に到着、長期間捜索を続けたが何ら手がかりを得ず、ついに絶望されるに至った。
○増原政府委員 燃料のことは直ちに調べて申し上げまするが、飛行機を帰航いたしまする際、これは訓練の意味を持ちまするので、毎日やっておるわけであります。がむしゃらに一回だけ猛烈な訓練をやるというふうなものではございません。燃料としては、大体立川から帰って参ります際、立川で燃料補給をいたしまするが、その際は予備的な——まっすぐ飛べるだけの燃料を積むだけでは決してございません。
日赤代表の話によりますと、帰国旅費につきましては、引揚団体より、中国紅十字会を通じて、自費であることを知らせてあるとのことでありますが、これら一時帰国者より、中国帰国については便宜をはかってもらいたいとの要望もあり、これらのわずかばかりの持ち帰り金では、三カ月の日本滞在期間中に使い果され、中国帰航旅費はなくなるものと思われ、また前回の一時帰国者のうち、いまだ二十三世帯が日本に残留しておりますので、今回
それから名前は定期航路でありますが、往航には定期航路の貨物を積んで行くけれども、帰航には定期航路の貨物がない。その場合には不定期航路の貨物をそこら中探し回って持ってくる。ですから、時間的にちゃんと航海しないで、帰り方はでたらめな帰り方をしてくる。それもやはり定期航路の中に入るものであるか、その点に私は非常に疑義を持っておる。
すなわち未帰航が三隻であります。なお昨日納沙布燈台からの報告と、それから漁船からの報告によりまして、どうもつかまえられたのではないかというカニ刺し網漁船が四隻ございます。これはいま調査中でございます。
ビキニ水爆調査船としての俊鶴丸が全国民注視の下に五月十五日東京港を出航して以来、約五十日の長期に亘つてビキニ環礁を中心とした洋上八千海里をつぶさに調査されて、去る四日全員恙なく帰航されましたことはすでに皆さん御承知の通りであります。調査団が無事調査を了えられましたことは私ども何よりのことと存じております。